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小耳にはさんだのですが、

「霊能力をお金のために使うと、能力がなくなる」

と思っている方がいらっしゃるようです。

さらに、

「努力するべきところを、霊能力で手を抜くことはしたくない」

という話も聞きました。

これらは、

「霊能力は特別な能力だ」

という誤解に端を発していると思われます。

まったくもって馬鹿げた考え方です。

霊能力は特別な能力ではありません。

まして、霊能力者は選ばれた人間ではないし、特別な使命を持った人間でもないのです。

これを才能で例えましょう。

生まれ持っての「美声」を持った、「麗しき」少年がいたとします。

彼の歌声は、人々の心を震わせます。

「天使の声だ」「天は彼に二物を与えた」と人々は彼を称賛いたします。

やがて彼は歌手となり、それを生業とし、多くの財貨が彼のもとに集まってきました。

彼の美声、彼の美貌は、彼の努力のたまものではなく、神あるいは天から与えられた特別な能力です。

そのための努力は、他の人よりはしていないのです。

その特別な能力、努力とはいえない成果に、人々は喜んで財貨を彼に贈ります。

彼は能力に溺れているのでしょうか。

正当な努力をしていないので、彼は罰を受けるべきでしょうか。

彼が受け取る財貨は、彼の能力を奪うのでしょうか。

そんなことはありません。

天に与えられた能力だから、

あるいは、

努力が伴っていないから、

彼は財貨を受け取ってはいけないという理由、および、法則は存在しないのです。

もしもあなたが彼を見て不快に思うなら、

それこそ自我(エゴ)由来のものであり、神あるいは天はあなたを罰することでしょう。

わかりますか。

わかりませんか。

ある世界的ヴァイオリニストが、先月私に語ってくれた話をここで紹介いたしましょう。

そこに答えがあると思います。

「私の演奏を聴いてくれていたたくさんの人々が、私のロサンゼルスの舞台の成功のために、お金を贈ってくれた。

私にその価値があるか迷っていたのに、私がみなさんから自分の価値に気付かせてくれる体験になった。

人生が変わった」

才能、特別な能力、霊能力はすべて、お金に換えていいのです。

むしろ、対価としてくださることや、贈ってくださることは、その財貨は「愛」なのです。

もっと凄い例え話をいたしましょう。

対価や贈り物は、気持ちがこもっていればこもっているほど、粗末に扱えば「不徳」と考えられます。

手料理をありがたく頂戴しないことは「無礼」といわれます。

くださる財貨を「受け取ってはならない」「カルマになる」「罰が当たる」として毛嫌いすることは、「不徳」「無礼」になってしまいます。

相手が不快に思っているのに、「自分が正しい」と思い込む人を「偽善者」といいます。

あなたは偽善者に成り下がっていませんか。

財貨の姿かたちに惑わされてはいけません。

その財貨をくださる方の気持ちこそ「愛」なのですから。

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