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先日、お客様と話していて、あることが気になりました。

その女性は、スピリチュアル的な生き方の実践をされていました。何事もポジティブに考えるべきで、何か自分に起きたことは、取り組むべきことだと考えていました。

それが「流れに任せる」ことだと思いこんでいたのです。
そのため、まるで自分の本音よりも流れを優先するかのような、自分が本当に望んでいることが何なのか忘れてしまいそうなほど、渋々従うような場面が多かったようです。

「私はこれをするべきなんだ」
「これが私の学びなんだ」
「これにチャレンジすることで、自分がきっと成長できるんだ」

そうして、嫌なことまでポジティブにとらえ、がんばっていました。
その女性は、引き寄せもうまくいかず、どうしてかわからないでいました。

私はその女性の勘ちがいに気づき、こう伝えました。

「流れに任せるというのは、今起きていることを何でも引き受けて、取り組むことではないよ。今起きていることから、どう選択するかが、流れに任せるということで、何も選択せずそのままにしたら、流れに逆らっているってことなんだ」

その女性は、首を傾げていました。そこで、私は例え話をしました。

「例えば、この前、友人から借りていた本を、返そうと思ったときに、うっかり忘れてしまい、スピリチュアルなその友人から「それはまだ返さなくていいということだよ」って言われて、あなたは腑に落ちなかったって言っていたよね。

すべてに偶然はなく、何でも意味づけしようとするその友人も、そうすることで「何でもポジティブに考えることがいいことだ」という依存なんだ。それと同じことで、「今起きていることは、自分に必要なことなんだ」という考え方も依存なんだよ。

本を忘れたことは、ただ単に忘れたこと。忘れたあなたはどうするかという選択であって、どう選択するかがあなたに来た流れなんだ。その流れから逃げないで、ちゃんと結論を出すこと。それが大切なのであって、「忘れたから、この本を読まなきゃいけない」ってことじゃないんだ。

忘れてしまったことは自分の意思ではないので、きっと意味があってそうなったんだと思う。それに気づくために、忘れる体験があった。それを安易にポジティブに考えて、「読まなきゃいけないんだな」ととらえるのはまちがいで、その友人から言われた「まだ返さなくていいということだ」という発言に腑に落ちない自分がいたと気づいたよね。何か変だなって思った。その体験が大事なのであって、「本を読まなきゃいけないんだ」って思いこんじゃったら、そういう大切な気づきを見逃してしまうんだ。

本を忘れたことで、何を体験し、自分は何を選択するかが、流れに乗るということなんだ。
じゃあ、本を忘れたことで学ばされていることは何かというと、読み終えた本を返したいのに、その友人から「まだ返さなくていいということだよ」と言われて何か腑に落ちない自分に気づき、自分はこれからどう選択するかが問われているということなんだ。その友人はその本をあなたに読んでほしかった。大切に思われたかった。だから、「まだ返さなくていいということなんだ」とすることで、その友人は自分のエゴを満たした都合のいい発言をしたんだ。その辺が、あなたにとって何か不快に感じ、腑に落ちなかったんだと思う。友人のエゴで自分の試練が決まるのは変だよね」

その女性は「そうそう、そんな感じがした」といった表情でうなずきました。
私は続けました。

「そして今日、あなたは私に「自分に起きたことはチャレンジしなきゃいけないという思いこみは依存だよ」と言われ、その友人に感じた違和感と同じ理屈であることを知ったんだ。何でもポジティブに考えるとか、何でもチャレンジだと考えるとか、そうすることできっといいことがあるだろうっていう依存であって、そこには自分の意思がないんだ。

「流れに任せる」とは、「自分の意思で何を選ぶか」っていう課題が次々に来て、選び続けることなんだ。自分の意思で選ばずに先延ばしにしたり、人が言っていた理由に従って自分もそうしたり、拒絶して何もしなかったりということが「流れに逆らっている」というもので、逃げなんだ。

常に選び続けることはたいへんだけど、必ず自分に必要な体験をするために、選ばなきゃいけない場面が来て、自分の意思でしっかりと取り組むことで、自分は成長できるんだ。それが守護霊の導きであって、自分の意思なしには成長できないからね。

もちろん、スピリチュアルカウンセラーやチャネラーなどに相談して、ヒントをもらうのはいいんだよ。ヒントをもらって、自分が気づけなかったことで理解を深めて、自分で決断するための判断材料にすることはとてもいいことだからね」

「なんだぁ、全部、自分がしなきゃいけないことだと思ってたぁ。選べばいいんだぁ」

その女性は、きょとんとした表情でいましたが、今まで自分の身に降りかかることは全部取り組まなければならないと思いこんでいたので、肩の荷が下りたようでした。友人に本を薦められれば「読んだほうがいいという導きだな」と思って借りて読み、友人に誘われたら「何か学びがあるかも知れない」と考えて、興味のない行事にも参加しました。すべてに意味があると感じ、意味がわからないときは、「自分にはまだ理解力がないのかな」「どうしてこの体験があったのだろう。いつかわかるときが来るかな」とモヤモヤしたまま過ごしていたようです。

なぜ試練が来るかというと、自分が常に後悔しない選択ができるようになるためのもので、自分自身を理解しないと、自分が後悔することは何なのかわかりません。自分の考え方を試すように、さまざまな選択問題が来て、選ぶことで「後悔すること」と「後悔しないこと」を人は学んでいるのです。

自分で選ばないと、後悔することになってしまったときに人のせいにしてしまいます。まるで自分は悪くないかのようです。それでは成長できません。
この女性は人のせいにする人ではありませんが、人のせいにはしなくても、後悔するたびに「ああすればよかった」「こうすればよかった」と新たなルールを作り、ますます自分の意思ではない選択を繰り返し、ドツボにはまっていったのです

ルールを作るなり、信じるなりして、選択せずずっとそのとおりにしようとすることは、自分の人生を生きているとは言えず、到底スピリチュアルとは言えないものです

「流れに任せる」ということは、実は「ルールに従う」ことではないのですが、つい「ルールに従う」ことだと無意識に思いこんでしまうと、スピリチュアルを実践しているつもりでも、うまくいかないものなのです。

あなたは、「あなたならどうする?」という流れの中で、「流れに任せ」て選択していますか? それとも「ルールに従」って自分の意思で選択せず行動していますか?

今日の内容が理解しにくかった方は、メッセージをください。新たにちがう例え話をいたします。

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