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NYANKORORINさんからご質問をいただきました。

Re:Re:8月18日のブログについて

そうそうにご返信下さりありがとうございました。
具体的にお話ししますと、将来的にどうしていきたいのかかんがえようとしても何も答えは出ず、自分はどんな仕事がしたいのか、何がやりたいのか、なにをすべきなのか、自問自答してもただただ堂々巡りに答えも出せず悩んで終わります。恋愛の悩みにしても、目の前の出来事や想いだけでいっぱいいっぱいで、自分がどうしていきたいのか、自分の考えがなく、相手次第のような考えになってしまうので、それじゃあ自分がないことなんて当たり前だと思うのですが、じゃあ相手のことは置いておいて、自分はこの先どうしていきたいのか、どうすべきなのかを考えると答えが出ません。やはり相手本意な考えで決めようとしているから、答えが出ないのだと思います。そんな状態の自分では、自分はどうしていきたいのかが分からず、具体的にどう向き合っていくのか、向き合い方がまるで分かりません。
すみません。具体的になっていないですよね。
これからもブログを拝見して色々なヒントを探していきたいです!なんだかまとまりのない内容で申し訳ありません。ありがとうございました。

このような悩みをお持ちの方は非常に多く、さまざまな方から同じ内容で何度も何度もお問い合わせをいただいています。

今回は思い切って、このテーマにチャンレンジしたいと思います。

実は人は、自分を理解する努力、訓練が必要です。経験もなく自分自身を理解することは難しいことなのです。人間は社会的な機能をもち、人と比べることで自分はどうなのか理解することで、社会に参加し共同生活を送ります。
自分のことより、人のことのほうがわかるのが、人間らしいといえる訳です。

その社会的な能力をそなえた人間が、自己理解を深めるには、「自我の確立」という心理学的解釈がヒントになります。

心理学において、「自我の確立」には4つの階層があるといわれています。

1. 順調に発育すれば4歳で到達する「初期自我」
自分の本能、感情、思いがそのまま行動につながる段階。

2. 順調に発育すれば7歳で到達する「中期自我」
親や他の大人から植えつけられた良心や道徳観で自分をコントロールしようとする段階。親や他の大人に保護を求め、服従し、依存しようとする。この段階で成人している人は非常に多い。

3. 順調に発育すれば12歳で到達する「後期自我」
反抗期を経て、親に対する依存を卒業し、精神的な自立を達成するのがこの段階。理性によって自分をコントロールしようとする。尊敬される人でもここまでの人がほとんどである。

4. 到達する人はまれな「成熟した自我」
満たされた精神は、理性によって自分をコントロールする必要がなくなり、穏やかに過ごせる段階。周りの人と協力し合い、助け合える。社会の中でこの段階の人はまれである。

これらの4つの階層は個人差が大きく、「後期自我」に到達せずに社会生活を営んでいる大人も非常に多いそうです。

いわゆる「家庭のため」「夫のため」「妻のため」「子供のため」「仕事のため」として我慢することで人生を生きることが大切だと思っている人は「中期自我」であり、しっかり自分の目標をもち、自分のためにひたすら努力している人は「後期自我」であるといえます。「中期自我」の方も「後期自我」の方も、よく見かけますよね。

たとえ「後期自我」まで到達していても、実は自分自身をよく理解しているかというと、実は必ずしもそうとはいえません。
なぜかといいますと、たとえば「金持ちになれば幸せになれる」と思いこんで、ひたすら貯金したり、ひたすら仕事に打ちこんで努力できることも「後期自我」だからですが、いざ資産を築いてみると、周囲の人が金目当てで近づいてくると思えてならなくなり孤独感にさいなまれるとか、お金がもったいなくて心を満たすための出費ができないとか、ますます欲が出てもっと稼ごうもっと増やそうとお金に執着してしまうなど、その幸せになると思えたお金によって、逆に心が狭くなったり、ストレスが増えたりする体験をして、「自分が求めていた幸せはこういうものではなかった」と気づくこともあり得る訳です。
結婚でも例えることができます。経済力がある男性と結婚すれば幸せになると思っていたらちがったとか、美男・美女と結婚すれば幸せかと思ったらちがったなど、よく聞く話ですね。
これらの失敗はすべて、「後期自我」によって手に入れるまで努力しているうちは「自分は満たされている」「将来が希望に満ち溢れている」と思いこんでいたのにもかかわらず、いざ手に入れてみると求めていた幸せではなかったというものです。挙句の果てには、今さら「実は幸せじゃない」なんてことになったら「負けを認めることになる!」と思いこんで、「私は最高に幸せよ」「私は満たされているわ」と演じて成功者である自分をひけらかすことで、自分の空虚感や他の成功者へのねたみから生まれる敗北感を埋めようとする人もいるのです。

自分にとって「何が幸せか」「何で満たされるか」は、本当の自分を理解しないとわからないものなのです。

「成熟した自我」とは、本当の自分を理解し、「求めていた幸せ」「求めていた満足感」を手に入れた人々をさし、彼らには心の飢えがないのです。

このように、「何がしたいか」「何をするべきなのか」で悩んでいる人は、世間でほとんどの人が抱えている悩みと同じものをかかえているのです。そのことで悩んでいない人がいても「自分が本当に満たされる幸せ」かどうかもわからずに努力して夢中になっているだけかも知れず、誰も確証がないことがわかります。

つまり、「何がしたいか」「何をするべきなのか」で悩んでいる人は、自分が目指していることを努力できているつもりの人や、努力しているふりをして実は迷っている人を見て、「自分もそうならないといけない」と思いこみ、闇雲にあせっている可能性が高いのです。

では、どうしたらいいか。

これを食べ物で例えてみましょう(笑)

例えば、「自分の本当の幸せ」を食べ物で例えると「大好物」ということになります。

周りの人が「俺は陽々軒のあんかけチャーハンが大好きなんだ。もう最高!」とか、「私はお取り寄せのマンゴーが大好きで、シーズンになったら必ず取り寄せるの。これが食べられるときは超幸せ!」とかいっていて、あるとき「自分にはそういう大好物ってないなぁ」と気づき、周りの人をうらやましく思ったとします。「ああ、自分もおいしいものを食べたい!」って思っても、どこにあるか、何を食べたらいいか、まったく手がかりがありません。

周りの人に聞けば「好きな食べ物ないの? 何かあるでしょ~。何もないなんて考えられな~い」などといわれたりして、ますます「自分は何でわからないんだろう」って混乱します。

このとき、周りの人に聞いても絶対に手がかりはありません。あんかけチャーハンを食べてもおいしいと思えないかも知れないし、マンゴーで満たされるとは限らない。当然ですよね。人の大好物が自分にとっても大好物だなんてなかなかないものです。

だからといって、自分に問いかけ続けても、大好物は見つかりません。「自分は何が大好きなんだ~!」って心の中で叫んでも、見つかるはずがないのです。今までの人生で「うんめぇ~!」って感動した食べ物がなかったのだから、自分には大好物がないのです。

では、どうしたらいいでしょうか。

食べるしかありません。いろいろなものを食べてみるしかないのです。

私で例えるなら、私は親の気まぐれで作った「サンマの龍田揚げ丼」が大好物ですが、外食で見かけたことはないし、親に「どこでこの料理を知ったの?」と聞いても「覚えてない」の一言で終わってしまいました。後にも先にもこれ以上好きな料理はないし、親が気まぐれに作らなければ、この料理に出会わなかった訳です。初めて食べたときは「ンマ~!」と思い感動したし、そこになぜ好きか、なぜ大好物かは、理屈はいらないと思うのです。とにかく好き。それこそが大好物の証拠であり、「栄養あるんだから、漬物を大好物にしなさい」といわれても、理屈で好きになるのは、自分に嘘をつくことになると思うのです。正直な気持ちでは大好物は大好物なんです。

これと同じことが、「何がやりたいか」「何をすべきなのか」にもいえます。

あなたが本当にしたいことや、するべきだと思えることは、見つかるまでいろいろなことをやってみるしかないのです。
見つからないからといって、自分を責める必要はまったくありません。見つからないのに、「じゃあ、これをしたい。将来のためになるって聞いたから」みたいに自分にいい聞かせて取り組むことは、先ほどの「栄養があるんだから、漬物を大好物にしなさい」という例えにありますとおり、自分に嘘をつくことになるのです。

だから、無理に好きにならなくていいし、無理に取り組まなくてもいいんです。見つかるまで、日々を過ごすしかないんです。とりあえず生活のために働く。それしかないんです。

最後に、せっかくですから、スピリチュアルな裏技をお伝えします。

本当の幸せのために努力しているかどうか、目指しているものが本当の幸せかどうかを、見抜く方法があります。

例えば「金持ちになれば幸せになれる」と思っている人が、本気で思っている場合や、幸せになれていないのに幸せのふりをしている場合は、「本当に幸せか」という疑問を問いかけると、ムキになって「幸せになれる」とか「幸せだ」とかいい出します。
もし、「成熟した自我」によってすでに満たされているなら、ムキになる必要がなく、穏やかで、「ちがうかも知れないね~」と笑うことができます。「みんなの力になれるからね~」って笑顔で答えたり、「金持ちにならなくてもいいんだけどね」などとしてまったく気にしていなかったりするのです。

この裏技は自分自身にも使うことができ、自分に嘘をついている自分に気づくことができるのです。

だって、本当にしたいことなら、理屈はいらないはずだからです。言い訳したり、反論したりするのは、本当にしたいことではない証拠です。

おわかりいただけましたでしょうか。

本当の自分とは、悩んで考えて解決できるものではないということですね。本当の自分でいろいろなことを体験するしか、本当の自分にはなれないのです。

この記事を読んで疑問がわいた方は、お気軽にメッセージをどうぞ。お待ちしております。

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