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今日の日付は12/12/12ですので、新事実を公開します。

今までにも暴露シリーズとして、新事実をいくつか公開してまいりましたが、今回は「愛」についてわかってきたことを公開することにいたしました。

「愛」についてといっても、愛を考察していたことによって導かれたものではなく、想定外のところで新たな事実が見えてきたものです。

ここでいう「愛」とは、恋愛や友情、家族愛に共通の普遍的な愛のことです。博愛や無償の愛、慈愛のようなものと考えていただければよろしいかと思います。理想の愛、あるいは究極の愛として人間は感じるであろう「愛」について、心理学的にも合致する理論が見えてきました。

ここで公開することは混乱を招く恐れがございますので、じっくり読み、よく理解した上で、私の意図をくみ取ってください。理解せずに早合点して、私に悪意があるとか、差別的だと解釈するのは、私の意図を読みちがえているからですので、理解しようとお考えの方は慎重に取り組んでください。

私は今年に入って、独自の前世療法を開発し、全国でワークショップを実施して、さまざまなケースに遭遇してきましたが、それと並行して、私が独自の理論で展開したDタイプの方々の自己理解をお手伝いする機会が増え、導かれるように彼らへの分析が進みました。

私が展開した理論である「字義言語を使うDタイプと、行動言語を使うAタイプは、同じ言語を使っていても誤解しあい、コミュニケーションが成立しない」という考え方は、Dタイプの方々の共感をいただくことができ、手応えのあるものでした。

その理論の基(もと)、Dタイプの方々と向きあいながら、前世療法セラピーコースに参加してくださったDタイプの方々の心の変化を観察していました。

すると、想定外の因果関係が発見されたのです。

私の提唱するDタイプは、医学的には発達障害の傾向をもつ人々です。医学では生活に支障があるほどの発達遅延が見られる場合に限って「発達障害」と診断されますが、生活に支障がないために「発達障害」として診断されないレベルでも、発達障害の特性をもち、コミュニケーションに支障が出ていながら、本人も周囲の人も知らずに苦しみ続けている人々がおり、私は彼らをDタイプと名付け、その特性を明らかにしたのです。

その特性とは、強く出ると「発達障害」の症状を示し、弱く出るとコミュニケーションに弊害が出て、社会生活を不安定なものにしてしまうもので、「病気とはいえないが、病気を理解することで、トラブルを避けることができ、社会生活のストレスを減らすことができる」というものです。

結果、病気とは診断されていない方々に、病気の傾向があるとお伝えしていることになり、不快に思われる方は少なくなく、人によっては受け入れてくださるまでに時間がかかる場合がありますが、受け入れてくださった方々は、今まで苦しんだ理由がわかり、自分を責め続けてきた苦しみから解放される喜びを味わうようです。訳がわからずに苦しんでいたことが、自分の不注意ではなく、そういう特性をもった体であり、納得して気をつけることができるようになるからでしょう。

Dタイプの考え方は、私自身がその特性をもっているからこそ理解を深めることができましたが、前世療法を開発した私としては、何か腑に落ちないものがございました。

なぜなら、こういった特性は医学では先天的なものと解釈されているため、治らないものといわれていますが、私自身が前世療法の体験を繰り返していく中で、私自身の特性が改善されてきているように思われるからです。

催眠療法の一般的な前世療法では、依存症や恐怖症が改善されたという事例があるようですから、この身体的な障害と考えられている発達障害の特性も、精神に作用しているところから考えて、もしかすると改善される可能性がないとは言い切れないのではないか。もし、私自身が独自の前世療法でその変化を体験している途中経過であれば、重要な意味があるだろうと考えました。

さらにもうひとつ、腑に落ちないところがございました。Dタイプの方々は、コミュニケーションに支障があるために、孤立したり、個人攻撃を受けたり、排除される体験をする方が多く、本人は悪意なく人と接しているつもりなのに、なぜこれほどまで悪意があると誤解され苦しまなければならないのか。理解されにくいからといって多くの精神的苦痛を受ける理由は何なのか。彼らに同情すると同時に、その運命の意味を考えていました。

そういった事情の中で、私が主催の前世療法セラピーコースを受講されたDタイプの方々と向きあい前世療法を進めていくと、彼らに多くの共通点があることがわかってきました。

第一に、スピリチュアルを信じている人であっても転生説を多かれ少なかれ否定しようとします。強くは否定していない人でも、よくない前世が出てくるのではないかと確信しているふしがありました。転生説を信じる信じない以前に、受け入れられない前世が思い出されると思いこんでいて、転生説を否定したい衝動に駆られるというのが実情のようです。

第二に、実際に思い出される前世の記憶は、本人にとってつらいものであることが多いです。ただつらく苦しい体験というだけではなく、心を閉ざしてしまうほどひどく苦しい人生を生きたあとに生まれ変わって、犯罪者や冷酷な人になってすさんだ心になった人生を生き、さらに生まれ変わって現在の人生になったという、人を恨むほどつらく苦しい体験を原因にして闇に生きた自分、悪意に満ちた自分を思い出す苦しみです。被害者になった自分と加害者になった自分の両方を思い出すということになります。

第三に、心を閉ざすほどつらく苦しい人生を生きたときに、「もう人を信じない」とか「自分はどうでもいい・どうなってもいい」とか「自分が悪い人間だから人を苦しめたのだ」とか、さまざまな形はありますが「心を閉ざす決意」をしてしまったという共通点があり、生まれ変わっても人を愛せなくなり、自分を肯定できず、苦しみが続いているようです。

彼らの共通点は、「前世について恐れをもち、それを裏付けるように必ずつらい前世があり、その前世の自分のときに心を閉ざす決意をして、生まれ変わっても自分を見失ったままとなって、自分を生きられなくなっている」といえるのです。

生まれ変わると表面意識(顕在意識)の記憶はリセットされますから、なぜ人を信じられないのか、なぜ自分に自信がないのかは自分ではわからず、心を閉ざしているとは自覚がないまま、自分が安心するために「ルールをひたすら守る」とか、「人がよいといったことに固着する」といった誤った方法で人と信頼関係を作ろうとしてしまいます

その出口のわからない迷路、光の見えない闇の中で、なぜ自分は悪くいわれるのか、なぜ誰も自分をわかってくれないのか、闇雲に努力しても無駄骨で、ついには二次障害のうつ病にまでなってしまうほど、何十年も苦しみ続け、その原因が自分の特性であることを知ったとき、彼らは驚くのです。大切にしていたことが誤りであったことを。

Dタイプの特徴は、自分よりも人を大切にしたり、嘘の自分を作り上げてまで体裁を大切にしたり、どうせわかってもらえないとして心を開かなかったりします。自分自身のことは実はまったく理解していません。

前世療法やインナーチャイルドセラピーなどを通じて、前世で闇に生きた自分や、過去で心を閉ざした自分を思い出すことで、本当の自分を受け入れ、自分の本当の気持ちを取り戻し表現できるようになると、人の気持ちも自然と理解できるようになり、意思の疎通が楽になるようです。

心理学でもいいます。自分を愛せない人は、人を愛せないと。

心を閉ざした人は、自分自身を否定した人です。

Dタイプの方々は、現世で心を閉ざした経験があるか、前世で心を閉ざす体験がある人だといえます。

「空気を読む」「意思の疎通が円滑になる心配り」は、心を閉ざさずに表現ができているからです。自分の感情を自覚し、相手の感情を尊重し、対等に話すことこそ、Aタイプの真骨頂、その能力、その感性が「愛」そのもの、深さ、強さ、大きさを示すものだったのです。

相手にやさしくできることが愛情ではなく、相手を求めることも愛ではなく、人々が漠然と「広い心」「大きな愛」と呼んでいるものは、実は「空気を読む」「意思の疎通が円滑になる心配り」をいうものであり、「善意をもつ努力」や「ルールを外れないこと」とは無関係だったのです。

ここで誤解がないように指摘しておきたいこととして、Dタイプは愛が冷めてしまっている状態とはいえますが、愛がない人だということではありません。彼らは愛に飢えている状態であり、愛し方を見失ってしまった運命を背負い、社会から迫害を受ける体験をしているのであり、愛がない人生を望んでいる訳ではないのです。

Dタイプに限らず、Aタイプも「愛を学ぶため」に生まれてきます。苦しみばかりになりがちの生まれ変わりの中で、もっとも「愛」から離れてしまった人々がDタイプの人生という運命を背負い、「愛」とは何なのかという問題と向きあっているといえるものです。

Dタイプの方々は、その特性をつらぬいても、本当の自分を生きられない可能性があります。特性をもったままでもいいので、とにかく特性へのこだわりを捨て、前世療法なりインナーチャイルドセラピーなりで本当の自分を受け入れ、「空気を読む」努力をして、「意思の疎通が円滑になる心配り」をマスターすることで、闇から抜け出せるようになるのです。それから、本当の自分を生きられるようになると考えられます。

当たり前のようで、意外と重要視されていないこと。それが「空気を読む」ことや「意思の疎通が円滑になる心配り」することこそが、「愛」であったということです。

「自分を理解すること」が「自分を愛すること」であり、「人を理解すること」が「人を愛すること」です。「人に自分を理解してもらうこと」が「人に愛してもらうこと」ではありません

これが12/12/12である今日、みなさんにお伝えしたいことでした。

「愛」は、身近で奥深いものなのです。

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