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ある僧侶が私のもとに学びに来ました。

日本で数百年の歴史がある宗派で、50年近くキャリアがある僧侶でした。

彼の仏教の知識は歴史に裏付けされ、日本の哲学や文学にも影響を与えたものを彼は身につけていることになります。

私は根本仏教から引用した仏陀の言葉をワークに取り入れ、彼に「アメージュのワークの骨子」「私および紗依の霊能力の本質」を仏陀の言葉によって代弁しました。

すると彼はたいへん驚かれました。

彼いわく、

「仏陀の教えの中心部分および要点は縁起の法・四諦・八正道であり、そのとおりだと理解するものだと私は学んできました。

しかし、まさか縁起の法から抜け出すことが悟りだとは思っておりませんでした。

十如是(諸法実相)とは、縁起の法を理解するための教えです。

そのとおりにはならないと受け入れることが悟りとは、天地がひっくり返るほどの驚きです」

そういわれて、想定外の返答に私も驚きました。

これは仏教の修行の目的にかかわる問題ですので、修行を終えた僧侶から聞く話とは到底思えなかったのです。

私は理解しました。

「現代の仏教は、正しく仏陀の教えを伝えていない。少なくとも日本仏教では」と。

なぜそういえるかといいますと、日本仏教が仏陀の教えを理解しているか、私が仏陀の教えを理解しているか、どちらが正しいかという問題では済まされないからです。

なぜ済まされないか。

矛盾があるかないかのちがいだからです。

仏陀は弟子たちに悟りの開き方を説きました。

縁起の法を説き、業(カルマ)となって、必ず原因と結果の法則があるとしました。

次に、悟りを開けば、業(カルマ)から解放されると説きました。

ここで日本仏教は勘違いをしました。

「縁起の法を勉強すれば、悟りを開ける」と。

しかし、仏陀は「解放される」と説いているのであって、縁起の法・原因と結果の法則から解放されるといっているのです。

つまり、縁起の法・原因と結果の法則から抜け出すことを目的・目標としているのです。

言い換えるなら「縁起の法を理解して、囚われることをやめなさい」という意味での教えなのです。

そこを読み違えて、日本仏教は「縁起の法」を大切にしてしまいました。

唯一そのことを理解するメソッド(手法)を取り入れているのが禅宗ですが、実際にできているかどうかは禅宗の僧侶から話を聞いておりませんのでなんともいえません。

これを私の理論で統合された「仏法+心理学+量子物理学」で解説しますと、「運命は決まっていない」ということになります。

しかし、「運命のようなどうにもならないものがある」のは確かです。

それは何か。

それは「心理学でいう自我が、仏法の縁起の法に従った業(カルマ)となり、量子物理学でいうパラレル・ワールドを生み出し、それがアカシック・レコード(虚空蔵)のように見せ、運命としての未来を形成する」のです。

つまり、

「縁起の法・原因と結果の法則」=「アカシック・レコード」=「パラレル・ワールド」=「自我」=「運命」

であり、

「悟り」=「自我を外した自己超越者」=「どのパラレル・ワールドにも属さない時間軸」=「運命に束縛されない未来」

になるのです。

従って、「運命」は本来決まっておらず、「自我」が原因(因縁)となって業(カルマ)を作り、それが「運命」のように作用するのです。

それを仏陀は「縁起の法」と説きました。

あなたの運命は本来決まっておりません。

あなたが信じこんでいる価値観、思いこんでいるこだわりが、あなたの運命を決めてしまい、融通の利かないものにしてしまうのです。

それに気づき、縁起の法から抜け出すと、未来は意のままになることでしょう。

これが私と紗依の到達した境地です。

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