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非常に勉強になる記事を見つけましたので、ここで紹介させていただきます。

公認会計士天野敦之公式ブログ「『君を幸せにする会社』 『宇宙とつながる働き方』」の2011年8月11日の記事「イーシュヴァラ(全体世界)」と「ブラフマン(普遍な存在)」についてのたとえ話」です。

この記事の中で、スピリチュアルの真髄を垣間見ることができます。
その部分を抜粋いたします。


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●「イーシュヴァラ(全体世界)」と「ブラフマン(普遍な存在)」についてのたとえ話
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大きな海の中で1つ浮いた波。

波はやがて岩にあたり、砕け散る自分の儚い運命を悲しんで泣きました。

そして海に助けを求めました。

「どうか神様。もしいるとしたら、もうすぐ砕け散る虚しい私を助けてください。

この命が終わってしまうのが、悲しくて恐ろしいのです。

どうかこの悲しみと恐怖を取り除いてください。」

すると、海は答えました。

「何を嘆いておるのかな?波よ。
お前は自分の真実を知らず、嘆く理由のないことを嘆いているようだね。
お前は波という形を一時的にとっているが、その本質は水である。
水は波という形がなくなっても、消えたりはしない。
この海という全体世界において、水は終わることなく、変わることがない。
お前の本質は水である。
波は一時的に現れた形にすぎない。
そしてこの全体世界である海の本質も水である。
波と海の本質は水であり、それがお前の真実である。
このことを知れば、何かを恐れたり、怖がったり、悲しんだりすることの無意味さを知るだろう。
お前の本質とは変わらぬ真実であり、海という全体世界に満ちるものなのだから。」

そうして、波は砕け散る恐れと不安を手放し、悲しみと苦悩から自由になったのです。

この例え話では、波は個人であり、海は全体世界「イーシュヴァラ(全体世界)」であり、
波と海の本質である水が「ブラフマン(普遍な存在)」であるということを示しています。
波が自分の本質と海の本質が水であることを知った瞬間、小さな波である故の
悲しみや恐れから自由になるというお話です。
自分が水であるということを知った波は、自分は波でありながら海であり、すべてを満たし、
海の世界で変わらぬただ1つの存在であり真実である”水”だということを理解しました。
そのことで、波は空間と時間における制限や、苦しみや悲しみ、恐れから自由になったのです。

この話の中でも、初めから波は海でした。
しかし1つの波は”水”である自分の本質を知らず”海”として現れている自分を見ることもなく、
”波(個人)”として現れた小さな自分を”本当の自分”だと思いこみ、世界に恐れと不安を覚えていました。
波は自分の本質を知ることによって自由になったのです。

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『やさしく学ぶYOGA哲学 バガヴァッドギーダー』より抜粋


この記事は文末にありますとおり、「やさしく学ぶYOGA哲学-バガヴァッドギーター」(向井田みお著、アンダー・ザ・ライト ヨガスクール2009年10月15日刊)から抜粋されたものですから、私は孫引きとなります。私は所有しておりませんので、記事からの引用とさせていただきました。

この例え話は、ヒンドゥー教(バラモン教)、仏教、ヨーガ、奇跡のコース(ACIM)、セルフ・アイデンティティ・スルー・ホ・オポノポノ(SITH)に共通する真髄の一側面、究極の法則に至る道筋を表しています。

現代心理学では、トランスパーソナル心理学として探求され、その功績としてACIMやSITHが登場したといっていいでしょう。

私はこの真髄を、アメージュのエンライトメントコースとしての完成を目指しておりますが、この引用した記事のように、ヨーガで語られることは非常に多く、仏教の教義や、アメリカでキリスト教教義での例えに成功したACIMとの共通点は、あまり知られていません。

これらを統合し、スピリチュアルの最先端としてのACIMやSITHがアジアにおいてもわかりやすくなるよう、仏教教義に例え、エンライトメントコースとして完成させることが、私の目指している方向なのです。

そこで私が申し上げたいのは、ゴータマ・ブッダ(釈迦)は仏教の開祖ですが、もともとはバラモン教あるいはヨーガ行者だったわけですから、仏教のベースはヨーガであり、禅もヨーガそのものといえるのですが、紀元前2500~1800年に栄えたインダス文明に起源があると考えられているヨーガは確立されたものとして伝承されたものではなく、ゴータマ・ブッダ自身がどの師をたずねても参考にならなかったと伝えられているとおり、ヨーガを独自に究めたのが仏教であるということです。

ヨーガの教義は早くても紀元前800年以降に成立したものであり、現代のヨーガの基本理念を著しているヨーガ・スートラ(瑜伽経)であっても紀元後2~4世紀という新しい時代のものです。その時代のインドは紀元前3世紀からすでに仏教が隆盛していたことから、ヨーガの一派として仏教教義は認知されていて、ヨーガ・スートラの成立に多大な影響を与えたと考えられます。そもそもヨーガはバラモン教としても仏教としても方法論として発展したものであり、ゴータマ・ブッダが伝道した紀元前5世紀から千年弱もあとに完成をみたわけです。そこにゴータマ・ブッダの功績は大きなものがあります。

その後、仏教はバラモン教の悪しき伝統を引き継いだヒンドゥー教の復興のあおりを受けて、バラモン教の悪しき伝統のひとつであるマントラ(呪文)を導入し密教化しましたが太刀打ちできず、マントラのご利益で人々の心をつかんだヒンドゥー教がインド全域で勢力を伸ばし、紀元後7世紀には仏教を駆逐してしまいました。

少なくとも紀元後4~7世紀のインドは、ヨーガの方法論を中心に据えて、仏教の教義とヒンドゥー教のマントラが混在した時代でした。ヨーガはヒンドゥー教と認知されていますが、仏教では禅として共通の方法論をもち、いわゆるヨーガに流派があって、ヒンドゥー教の九つの派(ハタ・ヨーガやラージャ・ヨーガなど)と仏教派があるようなものです。

ここで暴露するなら、引用した例え話はヨーガの教えとして広まっていますが、この教えが載っているとされる経典「バガヴァッド・ギーター」にしても紀元後1世紀の成立であり、まさにヨーガと仏教とヒンドゥー教が混在していた時代の産物で、ゴータマ・ブッダがヨーガやヒンドゥー教に与えた影響が確認できる内容のものです。

つまり、ヨーガ独自の教義ではなく、ゴータマ・ブッダが独自に究めた教義をヨーガにフィードバックしたものであって、旧来のヨーガが仏教化したものといえるのです。

その意味で、この教えのベースとなっているものは、ヨーガをベースにしながらも独自に発展させたゴータマ・ブッダの教えを、さもヨーガの独自の教えのようにすり替えたもので、ヨーガのいう普遍性は仏教で学ぶことによってさらに掘り下げることができます。極端ないい方をすれば、ヨーガに答えはなく、ゴータマ・ブッダが実際に語った内容が多く残っていると考えられている原始仏典にこそ答えがあるといえます。

仏教もヨーガなら、ヨーガの教えとしても問題ないではないかとお考えの方は待ってください。
これを例えるなら、中国の哲学を多く学び発展させた日本の哲学も、中国の哲学としてくくっていいではないか、日本の哲学を中国の哲学として語っていいではないかといった考え方と似ているといわざるを得ません。
日本で発展させた部分はあくまでも日本の哲学です。日本の哲学をもし中国の哲学者が借用し、中国の哲学として発表するとそれは盗用と見なされます。
仏教はヨーガの発展型ですが、仏教とは別の流れとして発展したのちのヨーガが仏教の教義を借用したことは、仏教とは別の流れである以上、極論ではですが盗用したといえるほどの暴挙です。それを決定づけるのは、ヒンドゥー教ではゴータマ・ブッダを聖者としておきながら、まちがった教義を広め、悪い人々を聖なるヒンドゥー教から遠ざけたとしているからです。

これはつまり、私の個人的な勘繰りですが、ゴータマ・ブッダの教義を盗用したことを伏せるための、ヒンドゥー教の面目を保つための、浅はかな偽装工作であったとしか思えないのです。

これらのことを踏まえて、引用した記事に立ち戻りますと、これはスピリチュアルの真髄を表すものですが、ヨーガの専門用語が用いられているとはいえ、本来、ヨーガの教えではなく、ゴータマ・ブッダの教えであり、この素晴らしい内容をゴータマ・ブッダの教えとして、みなさんにお伝えしたいということです。

これは究極、現代のスピリチュアルの最先端は、紀元前5世紀にゴータマ・ブッダがすでに発見したものであり、その真意が伝わらずに現代となってから、心理学が無意識の発見をもって、トランスパーソナル心理学として発展させ、ついにゴータマ・ブッダの教えを再発見するに至ったということです。

アメージュのエンライトメントコースは、この真髄を余すことなく学べる内容となれるよう、私はテキストの完成に向けて努力しています。

人類は新たな時代に突入することでしょう。

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