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「引き寄せの法則」とは、願いをかなえるだけのものではありません。

数年前にとても流行った「引き寄せの法則」ですが、成功法則として持てはやされ、まるで願いをかなえる方法のように思われてしまいました。

たとえ、そうではないとしっかり理解した人であっても、「引き寄せの法則」の「引き寄せ」とは、「よいことも悪いことも引き寄せる」という意味ですので、「引き寄せの法則」をマスターした人には、望んだことだけかなえるのは正直なところ「難しい!」と感じているのは珍しくなかったのです。

なぜ難しかったかといいますと、私はよく借金の返済で例えます。
「車なり、家なりで、借金を返したい、返したい、すべて返してすっきりしたい、返済の苦しみから解放されたいと思っている人は、借金を返したいという引き寄せが働いて、借金を返す日々が実現してしまいますよ。借金をなくしたいなら、お金に余裕がある、豊かになりたい、支払いに困らない、返済がないといった願い方をしたほうがいいですよ」
それを聞いた「引き寄せの法則」実践者は、「なるほど!」という顔をします。

この辺のからくりを理解しないと、「引き寄せの法則」では願ったどおりにはならず、最悪の場合、この借金返済の例えのように、逆のことを望んでしまったということになってしまいます。そして、そのとおりかなってしまうのです。

つまり、嫌な結果、望んでいない現状も、実はあなたが気づかず望んでしまった結果であり、「引き寄せの法則」は働かなかったのではなく、確かに働きがあったということです。

この理論で、あるとんでもないことを提言しておこうと思います。

実は、「自分は成長するために努力するべきだ」とか、「自分は生ぬるく過ごしてはいけない」とか、「もっと苦労しなきゃ、あとで後悔するぞ」と思っている人は、些細なことでも厄介になり、些細なことでも苦労する体験を引き寄せてしまいます。
すると、「自分はなんでこんなことで失敗してしまったんだろう。自分はまだまだだ」とか、「こんな自分じゃだめだ。努力が足りないからこうなるんだ」とか、「自分がしっかりできるようになるまで、もっと苦労しないとだめなんだ」と思いこむ人がいて、ますます些細なことでも厄介になり、些細なことでも苦労する体験を増やします。

こういう人は、「自分が未熟だ」とか、「自分は苦労が足りない」、「もっと自分に厳しくするべきだ」と思いこんでいるのです。苦労したり、失敗する事態を、自ら実現しているとは気づいていないのです。うまくいかなければうまくいかないほど、ますます自分を追いこむ必要があると信じて疑わないんですね。

これはもはや、「負のスパイラル」ではなく、「苦のスパイラル」です。苦労すれば、あとで必ず報われると信じこんでいます。

それは旧来の固定観念で、単なる刷りこみであり、実は自ら不幸を願う愚かな生き方です。

その証拠に、報われた人、幸せになった人の共通点は、「もう自分は十分がんばった」とか、「もう認められてもいいじゃないか。認められたい」とか、「まだ苦労が続くの? もう楽になりたい」と思ったあとで、必ず報われ、苦労から解放されているからです。

つまり、「苦労はもういらない」「楽したい」「認められたい」と望んだ人が、その結果を引き寄せるのです。

では苦労はまったく不要かといいますと、そうとはいい切れません。なぜなら、自信がない人、実績がない人は、苦労を耐え忍んだ経験から、「自分に苦労はもう必要ない」「楽していい」「認められていい」と安心して信じられるようになるからです。天才が苦労を必要としないのは、苦労をせずとも、能力や将来を安心して信じられる精神をもっているからです。
苦労を必要とする人は確かにいます。しかし、すべての人が必ず必要であるかといいますと、そうとはいえないのです。

なぜなら、「褒められて伸びる」とか、「よい評価を得ながら、成長を続ける」ということは可能であり、苦労がなければ必ず失敗するとはいえないからです。天才だからと無反省になり、自分以外の人をさげすむような傲慢な人間にならなければ、そういう精神性を持ち合わせるなり、気をつけることができるのなら、苦労はいらないのです。

だから、「苦労するべきだ」は願うことではなく、願うならむしろ「苦労なく成長したい」と望むことこそが、奇跡を実現できる「引き寄せの法則」ならではの活用法であり、苦労して成長するなら「引き寄せの法則」を使わなくとも、努力次第であって、奇跡でもなんでもないのです。

従って、望んだとおりのことを引き寄せられない人は、「苦のスパイラル」を引き寄せていないか振り返ってみる必要があるでしょう。このように「きっとこうだ」「きっとこうなる」と思いこんでいることまで「引き寄せの法則」は実現してしまうからです。

ここであえて、もうひとつつけ加えるなら、「私は苦労したのに、あの人は苦労しないで評価されるなんて、おもしろくない! 許せない!」ってつい腹を立ててしまう人は、自ら「苦のスパイラル」を作って苦労したのに、自分だけ苦労していると損した気分や、無駄な苦労をしたと馬鹿にされた気分になったり、苦労していない人をねたんだりして、「評価されるなら、苦労した人であるべきだ」「苦労しないと成功するはずがない」と絶対法則のように信じ、そうあるべきだと人に強要します。それは、自分勝手な価値観であると知らないので、怒りを感じ、相手の成功を阻止しようとします。

「苦労した人だけ、成功するべきだ」「苦労していない人は、苦労させるべきだ」という考え方は固定観念であり、自分の思いこみをまちがいだったと認めたくないという理由から、根強く守り続けてしまう執着となります。これを分析心理学では「コンプレックス」と名づけています。分析心理学を基にした心理療法では、自分自身が得しない考え方を自分で持ち続けていると理解し受け入れることで怒りを持たなくなるとし、自分自身を理解することの大切さを訴えています。

ゴータマ・ブッダは、この怒りを「執着が原因である」といいました。そして、「執着を手放せば、怒りは鎮まる」としたのです。執着を手放すことで、怒りを手放すだけでなく、人生も変わるとし、その最終地点を「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」と表現しました。心が乱れず、どのようなことでも穏やかに接することができる境地だと考えられました。
この「涅槃寂静」は、「悟り」の境地とも表現され、ゴータマ・ブッダは「苦」の原因を執着のせいとしましたが、これはまさしく「苦のスパイラル」によって「苦労を引き寄せている」ことをいったものです。

ですから、ゴータマ・ブッダは「執着を手放せば腹が立たなくなるから「苦」を感じなくなるよ」という意味ではなく、「執着を手放せば願いがかなうようになるから「苦」がなくなるよ」という意味でいっていたのです。のちの僧侶は「引き寄せの法則」を知らない人が多いですから、ゴータマ・ブッダの本意を理解しているのは少ないといえるでしょう。このように、ゴータマ・ブッダの教えが誤って伝わっているところをかんがみて、新たにゴータマ・ブッダの教えを見直すことは、今だからこそ求められていると私は考えます。

アメージュのオラクルコースでは、こういったところも掘り下げています。エンパワーメントコースではさらに踏みこんで、受講者の固定観念にメスをいれていきます。

すると、ますます「引き寄せの法則」が操れるようになり、「一寸先は闇」ではなく、「人事を尽くして天命を待つ」と心の底から思えるようになります。

あなたの人生はあなた次第なのです。

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