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昨日の記事にありました「人は知っただけで、わかったつもりになる」ことについてと、さらに掘り下げて、「神仏は本人の意思を無視して導くことは絶対にしない」ということを、今日は詳しく書かせていただきます。

「人は知っただけで、わかったつもりになる」ということはブログで何度も取り上げておりますが、実際のケースでは、ワーク受講者はわかったつもりであっても、その後の懇親会や勉強会などで私や巻山紗依とかかわり続けている中で、「そういうことだったのか」と気づく体験をすることは非常に多いです。つまり、わかったつもりになっていても、それは問題ないのです。もっと理解しようと思い続けることが大切なことだといえます。
「苦のスパイラル」を自ら作り出す人は、「自分はなぜ変われないんだろう」というところを、理解していないからだということをわからずに、わかったつもりなのに変われない自分について悩み、少しずつ理解していくまで工夫なり、神仏や守護霊の計らいで用意される縁を待たずに、「私はどうしたらいいですか」としつこく食い下がってきます。そういう方には「ワークで教えたとおりですよ」と再三お伝えします。ひどい人は、ワークの内容だけでは不十分だからだろうと思いこみ、「山中聡和が力不足のせいで自分は変われないんだ」と思ってしまうようです。

この現象は、「自分は理解できる状態ではない」ということを受け入れられず、神仏や守護霊の計らいをまったく信じていないためと考えられます。自分は何かを理解しなければならない、今すぐ教えてほしい、それができるのが神仏や守護霊の力の証拠といわんばかりです。こういった方々は、「自分が努力しなければ、よい結果になるはずがない。よい結果になっていないということは、何か自分の努力が足りないからだ」とも思いこんでいる節(ふし)があります。
成長途中であることを、努力不足だと思いこまされて生きてきた人々です。努力を続けなければ自分は変われないと決めてかかり、習ったことはわかったつもりになっておりますので、変われていない自分は、まだ何か足りない、まだ何か知らないことがある、何を努力するべきか気づかないといけないとして、それを自分以外のところに求めてしまうのです。

たとえ変われていなくても、神仏や守護霊の計らいを信じていれば、不安に思う必要はありませんし、努力が足りないと不安になるのは、努力しなければよい結果になるはずがないと、思いこまされて生きてきたからであって、それこそ神仏や守護霊の奇跡を信じていない証拠であることに気づいていません。

実は、奇跡を信じていない人に、奇跡は起きません。

この思いこみに執着し、神仏や守護霊の計らいを信じられず、思いどおりの結果にならないと不満に思う人は、望んだ結果になるまで、自分はがんばらなければいけない、神仏や守護霊もそのために存在しているとさえ、思いこんでしまうようです。その場合、その強欲が和らぐまで思いどおりにならない体験をさせられ、自分の願いがかなわない現実を受け入れるように、執着がなくなっていくように仕向けられます。それさえも、本当の幸せに気づくためであり、タイミングを見ているわけです。

例えば、「復縁したい。元彼じゃなきゃ、私は嫌っ!」と思っている人に、新しい出会いについて語り、「本当の運命の人は次に出会う人で、その人は素晴らしい人だよ」と伝えても、「私は元彼がいいんです!」といい返されます。そういう人に「私はどうしたらいいですか」と聞かれても、元彼への執着が落ち着くまで、手の施しようがありません。なぜなら、本人の自由意思を無視した強引な誘導は、独善的であり、人を軽蔑した行為であり、心理学でいう「心の理論」を理解すれば、如何に誤った行為かがわかるはずのものなのです。こういう人は、たとえ本人に霊感があったとしても、神仏や守護霊のアドバイスを受け入れられないので、「元彼じゃなきゃ嫌っ!」という執着が落ち着くまで、神仏も守護霊も黙ったままになるのが本来です。正確には黙っているのではなく、本人が耳をふさいでいるというのが実情です。そのような人から「山中聡和が神の代弁者なら、奇跡で願望をかなえてみろ」と迫られたからといって、私がかなえるはずがありません。それで「かなえますよ、と甘言する霊能力者は、低級霊のたぐいですよ」と私は繰り返し申し上げているのです。

私の霊視鑑定の相談者の中には、「心の理論」を理解していない「自閉傾向」をもつ人がいて、ときに乱暴なことをいい放つ人がいます。「私(相談者)がまちがっているなら、強引に引っ張っていって諭してくれるのが、本物の霊能力者(もしくは神の代弁者)じゃないのか」と。
つまり、実例を挙げますが、ある相談者が「これからのことについて、何でもいいので教えてほしい」と相談してきたとき、私は「あなたは戦いを手放す必要があります」と神託で伝えました。すると「悪い霊能力者が許せない。お前の能力は江原啓之さんやその他の人に比べて劣っている」と怒り出しました。ここは相談者が怒るところではなく、どうしてですかと聞いてくるところなのですが、その相談者は痛いところを突かれたので感情的になったのでしょう。心理学的にいえば「案の定、怒り出した。やっぱり理解できなかったか」と私が納得できる体験でした。

こういった方々は、「神の代弁者なら、一言で納得させる奇跡を起こすはずだ」と思いこんでいると考えられます。そういう「心の理論」を理解しない人々がおり、非常に浅はかな判断で人を罵倒します。「どうして元彼と復縁できないの?」と強欲の成就の強要を私にしてきたり、「私を納得させられないお前は偽者だ」と自分のことを棚に上げて罵倒してくることは、深い理解へ向けて辿る道を自ら跳ね返していることに気づいていないのです。

「そういう人も助けるのが神仏ではないか」と考える方は甘いといわざるを得ません。そもそも神仏にとって、人間は転生をするものであるから、今回の人生で必ず救うとは限らず、無理と判断した場合に「病死する」あるいは「絶望する」といった体験をさせて、転生後の人生で新たな試練を体験してもらうよう仕向けるのも、珍しいことではありません。
それを信じられない人は「まさか自分が病死するとは思えない」とか、「まさか自分が一家離散を食い止められないなんてあり得ない」と思っているからこそ、そんな甘いことがいえるのです。

前世療法のさまざまなケースを見ていると、こういった考え方はとても自然なものであると理解できます。現在の人生で執着をもっていることは、前世でもやっぱり同じように執着をいだいていて、その学びが継続されているから、現在でも悩んでいるのです。「神仏や守護霊が現世で救わないはずがない」というのは、とても狭い考え方であるといわざるを得ないのです。

逆にいうと、たとえ今世のうちに学び切れなかったとしても、必ず来世に持ちこまれます。苦しんだことは来世にも持ちこまれ、リセットはされません。その意味では、今のあなたが執着を手放さないと、あなたは変われないことを意味します。このことをゴータマ・ブッダは「執着を手放しなさい」と繰り返しいっていたのであって、こだわり続けている限り、思いこみ続けている限り、その苦しみは何ひとつ消えません。

これらをまとめますと、元彼に執着する人は、その執着が離れるまで、復縁も出会いもさせてくれないといえます。自分を納得させる霊能力者に出会うまで攻撃を続ける人は、自分で納得するしかないと気づくまで、納得させてくれる霊能力者に出会えません。孤立したり、批判されたりして、自分自身を見つめ直す体験が繰り返されるのです。本人の執着が増す方向には絶対に導きませんし、追いこみはかけても、基本的に放置されます。

本人がこだわっていることを持ったまま、勝手に導くことは、神仏も守護霊も絶対にしません。元彼に執着を持っている女性に、勝手に次の男性と出会わせることはいたしません。偽の霊能力者を攻撃するべきだと思っている人に、本物の霊能力者を出会わせることはいたしません。彼らは出会っても、何も理解できないからです。

あなたの執着は、必ず手放すほうに導くのが、本物の神仏、本物の守護霊の導きです。
執着していることをかなえてくれる低級霊には気をつけてください。彼らは何も保障してくれないのです。保障してくれるふりはしますが、それさえも彼らの甘言なのです。

自分の欲と向き合うための体験ですので、神仏や守護霊は、低級霊にだまされるあなたを、気づく前に救うことはいたしません。

だまされた人は、無実の被害者ではありません。必ず、何か執着したことがそこにはあります。それに気づくと、本当の幸せがあなたに到来するのです。

これが本当のスピリチュアルです。こだわりがあるかないか、たったこれだけで判断できる簡単な法則です。ゴータマ・ブッダの教えと共通する、永遠の真理です。

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