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 無意識について、なかなか理解しにくい意外な機能があることについて、私の見解をもとにお話したいと思います。

 インスピレーションは、スピリチュアルを信じていない人にとっても、仕事や創作、人生の岐路における選択などにおいて、とても重要なものといえます。事業などにおいて、プロジェクトの大切な局面では、責任者の判断に結果的に後押しをするのはインスピレーション、いわゆる勘や、ピンときたといったひらめきなどが決定的であったなど珍しい話ではありません。結婚相手を選ぶにしても、インスピレーションなどを理由に決心する話はよくきく話です。

 このような、思考の結果を根拠としない選択は、頭が固い人であっても、センスのよさの証として好まれることも多く、一概に「いい加減な判断だから当てにならない」とはいいがたいものです。むしろ、あれこれと思い悩み、あれはああだし、これはこうだしと考え過ぎることのほうが「判断力がない」として評価が下がる傾向があるといえます。

 理知的であっても、的確な根拠を見極める能力は、情報量や分析力ではなく、一瞬で見抜く力、いわゆるインスピレーションなのです。根拠なく選び、裏づける情報を得てから「やはりそうか。判断はまちがっていなかった」といえる人こそ、センスがある人といえるわけです。

 この点を読みちがえた理論派は、「徹底的な分析こそ、判断を誤らない方法」と思いこみ、情報集めや、根拠の整理などに明け暮れ、なかなか決断できなかったり、結果が出てから予想どおりではなかったことを言い訳してしまったりして、どんどん評価が下がっていく現実に「そんなはずはない。なぜよい結果にならないのか」と、自分のことでありながら不服であったりします。

 こういった人に振り回される周囲の人はたまったものではありません。
 有能な人は、インスピレーションに頼る覚悟と経験をもっていることを、理論派を自負する人は気づいていないのです。

 実は、このインスピレーションの正体は、心理学でいう「無意識」です。「潜在意識」ともいいます。無意識から得られる情報を「直観」と呼びます。この能力は万人にあり、私はそれを「霊感」と呼んでいます。そもそも霊能力者とは、無意識を理解しないまでも、直観を経験的に使えるようになった人々と私は解しています。つまり、霊感は特別な能力ではないというのが私の見解なのです。

 この無意識から得られる直観を使いこなしている人は、霊感を使いこなしているともいえるわけですが、誰も霊感だとは思っておりませんし、気づかずにそのセンスを磨いても、なんら問題はないと私も考えます。ちなみに、英語では直観と霊感は同じような意味合いで表現されます。

 このように、直観として人々は霊感を知らずに使いこなしているわけですが、もうひとつ、無意識の機能をご紹介します。ここから今日の記事の本題です。

 心理学において、私たちが自分の意識を認識できるのは、「表面意識」あるいは「顕在意識」と呼ばれる部分だけで、無意識の領域は認識できないそうです。
 しかし、知らず知らず積み重なったストレスは無意識領域では「無意識に認識」されており、それが夢などで悪夢となって表面意識に認識されると、心理学では考えられています。

 つまり無意識は、表面意識が気づいているか否かにかかわらず、独自に判断する意思をもっているということです。そして、その気づきようのない意思も、列記としたもうひとりの自分といえるもので、「自分では認識できないもうひとりの自分」といえるものです。この「もうひとりの自分」が無意識の本体であり、直観を発信する源となっているものです。

 直観を使いこなす方法を勧めている書籍は多く市販されており、流行したもので有名なのは「右脳を鍛えると能力がアップする」という考え方です。その意味では、無意識は右脳で、表面意識は左脳と表現してもわかりやすいかもしれません。

 この直観が扱う情報量は膨大で、一瞬で多くの情報を解析してしまいます。そのため、表面意識では捉えきれず、直観で判断が下された根拠を、表面意識ではすぐには処理し切れず、結果が出てから「そういうことだったのか」とわかることも非常に多いです。

 この直観を発信する無意識である「もうひとりの自分」は、表面意識の混乱や不安などそっちのけで、次々と判断していきますので、実は人間は気づかないうちに、次の行動を判断していることがあります。

 これが今日の本題です。
 「人は、自分が気づく前に、判断し行動していることがある」ということです。

 理解しにくいですよね。例を挙げます。

 例えば、自分に必要な本を探しに本屋へ赴いたとします。
 自分が学びたいことに関係ありそうな本を探しにきたのです。
 でも、漠然としていて決まっていないとします。もっと具体的にいえば、「転職したい。そのために何か資格を取ろうかな。資格に関する本を何か見てみよう」くらいのものでしょうか。
 そういう場合、みなさんは本棚に目を通して、「書籍名」を見ながら判断していると思いこんでいます。「宅建」や「介護福祉士」などの字が目に入り、「何がいいかな」と考えながら書籍名を読んでいるつもりです。
 ところが、実は「本棚のジャンル名」が目に入った時点で、無意識の「もうひとりの自分」はすでに多くの情報量を処理し、無意識に足が向く方向を操ります。
 何気に目をやる方向も、一瞬目に入っただけで、多くの情報を処理し、必要な情報と不必要な情報を処理しています。「宅建」に反応した無意識の「もうひとりの自分」が「ピン」とこさせます。目に入っていて「宅建」の文字に気づいた表面意識は、「宅建? 取得はむずかしそうだなあ」と、表面意識が引き出せる記憶から、印象や判断の根拠を検討し始めます。「もうひとりの自分」にとっては「ピン」とこさせただけでもインスピレーションとして根拠にしてほしいのですが、センスがない(と思いこんでいる)人は、表面意識で判断して、直観を素直に信じません。
 「もうひとりの自分」は、次に取得しやすいものを目につかせます。「介護福祉士」です。

 こうして、無意識の「もうひとりの自分」と表面意識は知らずに対話を繰り返し、「これは?」「う~ん」「じゃあ、これは?」「微妙だなあ」と独り言のように考えていることが、実は無意識の「もうひとりの自分」による表面意識への説得だったりするのです。

 これは本を買うときに限ったことではなく、何か行動するときに常に行われている対話です。どこへ出かけるか、何をするか、何を選ぶか、どう責任を取るか……、すべてに渡って、無意識はあなたに問いかけ、情報をくれているのです。

 誘導され、提案され、説得されているとは気づかない表面意識は、あれこれと理由を持ち出しては決断を遅らせる傾向があります。

 そしておもしろいことに、無意識の誘導によって、表面意識が気づかないうちに危険を回避することもあります。例えば、胸騒ぎなどがそうですが、それだけではなく、嫌いな人がいつもいるところを知らずに回避しているというような、「無意識に行動していることが意味をもっている」ということです。

 これは裏を返せば、表面意識では嫌っていないつもりでも、本心では嫌っていると、無意識に避ける態度や行動をしてしまい、表面意識では気づいていないために、「あなた、私のこと、避けてるでしょ!」と人にいわれても、まったくそのつもりがないということが起きうるのです。

 頭が固い人は、「なんて人聞きの悪い! 私はそんな人間じゃない!」って憤慨してしまう人がいますが、実はその気づかずに振舞っていた行動や態度が本音だったりすることを、その人は受け入れないといけません。

 「根拠がなければ、信用に値しない」というのは表面意識がもつ幻想です。人間は本来、心をもっており、その心の中では本音があり、表面意識が理由をつけて「こうあるべきだ」と思いこんで、その本音を否定して、自分自身にいい聞かせるということが、珍しくない一般的な心理ですが、そのこだわりが強ければ強いほど、頭が固ければ固いほど、人は自分の本音から目をそむけ、真逆の二面性を心のうちに秘めるようになります。

 ここでぜひみなさんに提案したいのは、その無意識である「もうひとりの自分」を受け入れると、混乱が減り、迷いが減り、判断が早くなり、後悔しなくなるということです。

 長くなってしまいましたので、別の機会に続きを書きます。

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